銀塩フィルムデジタル化シリーズ 寝台特急「あけぼの」

Don West

2023年10月22日 04:14

「あけぼの」は元々東北経由の列車でしたが、青函トンネル開通や新幹線開業などに伴い経路変更や「出羽」「鳥海」との統廃合などの変遷を経て、最終的に上越線経由に落ち着きました。上越線経由で運行していたのは1997年3月改正から定期運用廃止の2014年3月改正までです。

上越線経由になった当初は上野から通しでEF81が牽引していましたが、81にとって上越国境越えは過酷だったらしく2009年3月改正からは上野〜長岡間がEF64-1000に変更となりました。
この列車を利用していたのは1999〜2004年の間ですが、その頃でも64-1000が牽引していたような記憶がありました。北陸と混同していたのでしょうか。

暗くてわからないですが、上野駅地平ホーム名物の推進運転で入線してきます。1枚目の機関車も尾灯が点灯していますね。

この時のチケットがネガと一緒に保管してありました。12-4-28 〇〇発行とあります。平成12年、西暦2000年ですかね。


こちらが毎回利用したB寝台個室のソロです。金帯に2階建ての窓が壮観です。余談ですがあけぼの以外の列車でも金帯車が登場し、しかも24型と25型の混成などが行われた結果、白帯、ステンレス帯、金帯が不規則に並ぶ統一感のない編成が増えていました。2階の窓は高い位置にある上に大きく湾曲して空も見上げることができます。大宮、高崎辺りでホームを見下ろす優越感、深夜の上越国境やスキー場の雪明りの壮大さ、もう経験できないと思うと残念です。

あけぼのが個室化されたのは上越線経由になる前の1991年とのこと。B寝台ソロは屋根を切断して個室ユニットを組み込むという大工事だったらしいです。屋根の接合部など劣化が早かったのでしょうか、定期運用末期には編成から外されていたようですね。

このA寝台ソロは外板の劣化が酷いですね。この時点で個室化改造から9年。日本海に向かい合う側です。海風の影響もあったんでしょうか。

こちらは開放式B寝台。


B寝台個室の狭〜い通路。

個室への入り口も狭かった。お相撲さんには無理ですね。自分はセーターが引っかかり解れてしまったことがありました。

2階の個室は左側に見える木製の板を右側の床の上に倒し更に折り畳んてあるマットを展開してベッドスペースを確保する造り。

ベッドを設置すると出入り口ドアは半分が塞がります。この僅かな隙間に転落した人がいたらしく末期には開放式寝台のような転落防止ベルトが設置されたそうです。写真を見るとなんとまぁ邪魔な所にベルトがあったんですねぇ。
因みに一度1階に乗ったことがありますがスペースは2階よりゆとりがあったと記憶しています。

今思えば、通路の狭さといい個室へのアクセスといい火災や事故などの緊急時の避難は大丈夫なのかなぁと思ってしまいます。

一度、事故か何かで深夜の上越国境で数時間立ち往生したことがありました。急ぐ旅でもなく食料も買い込んであったので、横になって大きな窓から夜景を眺めて過ごすという超ラッキーな経験でした。

こちらは車両端の洗面所。

A寝台個室の通路。さすが高級感ある演出ですね。

開放式B寝台。シーツなどの寝具を省いた安価なゴロンとシートもありましたね。シーツが無いって、衛生的にどうなのよと思っちゃいますが。



村上駅で折返しの特急「いなほ」を待っている間に撮影した寝台特急「日本海」。当時はまだそこそこの本数の寝台特急が残っていたんです。てか、チケットを見ると村上到着が3時22分。「いなほ」の始発までかなりの時間があったことでしょう。どうやって過ごしたのか全く覚えていません。もしかしたらこの後「あけぼの」を利用したときは鶴岡辺りで下車していたのかもしれませんね。


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